そこには天空があった。
過去これほど小さくて巨大な天空を
早坂 葵は見たことがなかった。
悲鳴、絶叫、放心する者もいる。
稲妻が走った。視界に火花が散る。
今、どれほどの上空にいるのだろうか。
「いいかっ、おまえたち! 合図したら
飛び下りるんだ! 合図したらだぞ!」
この男は早坂の担任教師で加藤といった。
我れ先に助かろうと機内で乱闘になったところ、
女こどもが先だと主張して、ここまで生徒たちを
引っ張ってきたのだ。
「先生! カネちゃんがいないんです!
そのドアを開けて下さい!」
女生徒が涙目で加藤に訴えたが彼は退けた。
まったく身勝手な責任感だ。
他にも客席に取り残された女こどもは
たくさんいただろうに、加藤は、手短な生徒だけを
救おうとしていた。正確には、彼に救える限界が
そこまでだと判断したからに違いなかった。
だからドアをベルトで固定した。
この貨物搬入用後部ハッチの四角い穴の
先に広がっている豪雨を伴った闇。
轟音と共に機体は傾き、急降下を始める。
振動にバランスを崩した生徒たちが次々と
天空へもぎ取られて…
そのヒラヒラと舞って消えていく様を
秋の街路樹に散る銀杏の葉のイメージに重ね
早坂は吐き気を催した。
暴風から身を守るため、必死に掴めるものに
しがみつくクラスメート、絶望、狂気、錯乱、
その掴んだ先がひとり、またひとりと友達を
道連れにして闇に飲み込まれていく。
早坂はハッとして自分を見た。
弱々しく、しかし必死にしがみつく小さな体。
幼馴染みの西川 すみれ。
「葵ちゃん…葵ちゃん…葵ちゃん…」
泣きながら早坂の名を連呼している。
極端に高度が下がったのか降下角度が上がった。
けたたましい金属の拉げる音を最後に
耳鳴りが早坂の聞ける全ての音をうばった。
天上に叩き付けられるクラスメートと一瞬視線が合う。
その彼女はカラオケが上手だったのを覚えている。
無音の中振り返ると、既に加藤の姿はなく、
吹き飛んだドアの奥からうねるようにして炎が踊り出し、
火だるまになった人間を次々吐き出している。
早坂は目を瞑った。
今度この目蓋を開けたら、もっと恐ろしい地獄を
直視することになる。それに耐える勇気がなかった。
ついに早坂の足は拠り所を離れ、
とても覚悟とは呼べない理解を示した。
温もりを感じる。
西川のものだ。
すみれ! すみれ! すみれ!
たぶん早坂は西川を抱き締めながら叫んでいたと思う。
早坂たちの乗っていた旅客機は海中へと激突し、
そこに生じた渦中に何もかも飲み込まれていく。
早坂の耳にケタケタと笑い声が聞こえた。
これが死神なのだと思った。