02.生存者

「目、覚めた?」
朦朧と辺りを見回す早坂に声をかけたのは
グレイに髪を染めたベリーショートヘアーの
二階堂 梓だ。早坂は当然のように訊ねる。
「…ここは?」
二階堂は首を竦めてから空を仰いだ。
「さぁね、あの世かも。でもとりあえず
 生きてる可能性も残されてるよ」
早坂の視界には霧に包まれて何も見えない海と
自分の乗っている黄色い浮きテントのような
救命ボート。続いて膝の上で眠っている西川。
二階堂、そのすぐ隣にふたりのクラスメート、
岩井 晶子と瑪瑙 一式の順に目で追い、
深呼吸を一回。
「助かったんだね」
そう呟いた。
「かもね」
二階堂は肘を付く。二階堂は教師たちから
煙たがられていたので早坂はよく覚えていた。
別に不良というわけではないが、いつも
制服を着崩していて、イヤリングに
黒いチョーカー、シャツは出して、
スカートは短かめ、何より髪の色が独特で、
規律を乱すとして古風な教師たちの槍玉に
上がっていたのだ。そのためか無意識のうち
彼女との関わりを避けていた感が早坂にはある。
「まったく…とんだ修学旅行ね」
瑪瑙が不機嫌そうに唸った。
「他のみんなはどうしたのかな…」
早坂の自問のような問いかけに素っ気なく
「死んだんじゃない?」
と、瑪瑙が答えた。名字は瑪瑙、名前は一式という
少し変わった名だが、そこからはとても
想像のつかない、ストレートの黒髪が綺麗な
女の子だ。ドライな性格で、付き合った男の子と
一週間で別れたなんて噂も耳にしている。
いずれにしろ殆ど言葉を交わしたこともない。
「なぁ、おまえもっと言い方あんだろ、
 アタシたちが生きてんだ。他のやつらも
 きっとうまくやったって…」
「二階堂さんさぁ、本気で言ってる?
 死ぬでしょ? 普通。私たちなんか、
 本当、イレギュラーなんだからさ」
早坂は俯いて西川の頭を優しく撫でた。
「何があったの…私たちに…」
「事故」
瑪瑙が即答する。
「最初のトラブル放送から5分で緊急事態、
 救命胴衣着けてさ、で、火が出てパニック、
 加藤先生御乱心、私は咄嗟の機転でこの
 ボート膨らまして墜落寸前に飛び出した」
「よくあの状況で膨らませられたね」
「自動的にすぐ膨らむように出来てるのよ」
ため息の瑪瑙に割り込んで二階堂が
「で、アタシが泳いでこのボートにしがみついた」
とクロールの手振りで説明した。
「加藤先生…」
急に呟いて泣き出したのは岩井だ。
「何? さっきからぶつぶつ…」
瑪瑙が横目で岩井を一瞥。
「どうしてそんな落ち着いていられるの!?
 みんな死んじゃったのよ! なんで普通なの!」
岩井は学級委員をやっていた。成績も良く、
物静かで、早坂は彼女が嫌いじゃなかった。しかし
今の岩井は癖ッ毛の髪が塩風に乾き、いつも
かけている眼鏡はなく、なにより取り乱していて、
まるで別人に思えた。彼女は続ける。
「瑪瑙さんの友達だっていなくなっちゃったのよ、
 どうして冷静でいられるのよぉ…」
瑪瑙は再びため息をついた。二階堂が優しく
岩井の背中を摩って言う。
「なぁ岩井、冷静じゃない。冷静じゃないんだよ。
 あまりにも唐突、現実味が無さ過ぎてさ…逆に、
 なんていうかさ…、空っぽなんだよ」
「そりゃ友達死んだのはショックだけどさ、
 今は自分が助かったラッキーを感慨してれば
 いいんじゃない?」
瑪瑙の一言に岩井が声を荒げる。
「あなたはそれでも人間ですか!」
二階堂が岩井を宥めながら瑪瑙に注意を飛ばした。
「おい瑪瑙、岩井の言ってることは正しいよ。
 アタシらはたくさんの仲間の死を
 目の当たりにしたんだぜ。そんなすぐ
 気持ちを切り替えるなんてできゃしないさ」
「メンタルに浸って泣いてるのが人間らしさなら、
 人間じゃなくて構わないわよ、私」
早川もさすがに瑪瑙の暴言に口を挟んだ。
「喧嘩するような状況じゃないと思うよ…」
しばらく沈黙してから瑪瑙は再びため息を一つ。
「私はボートを提供したわ。二階堂さんは
 あなたやあなたにしがみつくお友達を
 泳いでいって助けた。岩井さんみたいに蹲って
 泣いていたら、早坂さんここにいなかったかもね…」
言い様は嫌味っぽかったが、岩井も早川も、もう
反論する気は起きなかった。瑪瑙とはそういう性格なのだ。
二階堂は左肩を掻きながら言う。
「たぶんまだ混乱しててさ…うん、混乱してる。
 10分間くらい泣きじゃくって少しだけ落ち着いて、
 そしたら救えるだけ救おうって…でも
 結局3人しか見つけられなかったよ…」
そこで西川 すみれが目を覚ました。
早坂の説明を聞き、まさに二階堂がそうしたように
西川は10分間ほど泣きじゃくると、静かになった。
背が小さくて臆病で、猫が大好きな可愛い女の子。
それが西川に対する表現に適切だと早坂は思う。
小学校からずっと一緒で、いつも早坂の後ろにくっ付いて
とことこ歩いていて、そんな彼女が数少ない生存者に
加わったことは、少なからず奇跡を信じたくさせる。
5人は寒くも熱くもなく、ましてや丁度良くもない、
ねばついた気温の海の上を、心許なくたゆたっていった。

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