気が付いてからの岩井は普通じゃなかった。
独り言も意味不明で、目は充血し、時折笑う。
話し掛ければ反応するが、漠然としている。
囈言は呪詛のごとく4人の精神を磨り減らせた。
「ひぃぃぃぃっ!!」
突然の絶叫。岩井だ。
「怪物っ、怪物がいるぅぅっ!!」
「岩井しっかりしろ! もういない!
怪物はもういないんだ!」
二階堂が取り乱す岩井を押さえ込んだ。
「いやっ! いやぁぁぁっ!!」
「岩井さん、大丈夫だから、ね?
もう忘れよう、もう忘れようよ」
早坂は岩井を抱き締めて必死に慰める。
「ハァ…ハァ……ハァ……」
落ち着いたのか岩井が力を抜いた。
「ほら、岩井さん、私がわかる?
怪物なんてどこにもいないよ、ね?」
起き上がって早坂の顔を見た岩井は
引きつった笑顔で手を握って…
「岩井さん?」
岩井は唐突に早坂の手を自分の腹に押し付けた。
ピクッピククッ!
「ほら…いるのよ、ここに…」
早坂の顔面から血の気が引く。
「アハ、早坂さん…動いてるでしょ? アハハハッ!」
壊れた人形のように無機質な笑い声。
「葵ちゃん…岩井さん元気になったの?」
西川が事態を理解できず質問する。
二階堂もそうだ。瑪瑙は沈黙していたが
やがて立ち上がり岩井の背後に付く。
「まぁ、察しはついてたわ。犯した後、食わずに
生かしておく利益があるとすれば、これはもう
繁殖くらいしかない。種の保存本能に従ってね」
二階堂が怪訝そうな顔で瑪瑙を睨んだ。
「つまりどういうことだよ…」
「孕まされたのよ、怪獣の子供をね」
言葉を失った。その表情は絶望そのものだ。
「…あるかよ、あるかそんなこと!」
二階堂はやり場のない怒りにわなないている。
早坂は泣いていた。どうすればいいのか、混乱して
なにも分からなかった。ただ岩井を抱き締めて
泣くしか思い付かなかった。しかし瑪瑙は
「悪いけど岩井さん。生まれた瞬間、その子供
つぶすから。一応しておいてね、覚悟」
と言いはなつ。二階堂は激怒した。
「瑪瑙!てめぇっ!!」
瑪瑙の両方を掴んで引き寄せると、長い黒髪が
サラサラと振り乱れるが、お互い視線は外さない。
ふたりの少女の白い裸体が炎のように闇に揺らいでいる。
「子供を殺すっていうのか」
「そうよ」
「子供には…何の罪も…」
「はぁ? 何? 人間が産まれるとでも思ってるの?」
早坂は岩井を撫でながら会話に割り込んんだ。
「と、とにかく、今はまだわからないわけだし…」
「早坂さん感じたんでしょ? 腹ん中居たんでしょ?
人間の子が胎動するのに受精から1時間ってことある?
そいつはね、子供なんかじゃない。寄生虫よ」
瑪瑙は二階堂の手を無理矢理払ってしゃがむと
岩井に同情を込めて言った。
「心配しなくても、さっさと出しちゃえば、おなかは
空っぽ。すぐにもとに戻るわよ…」
まるで形式的に伝えると再び立ち上がって手を鳴らす。
「さ、それよりやるべきことがあるわ。まず、さっきの
ナマコのオバケが何なのか。あれ一匹だったのか。
またアレが現れたときのために安全な拠点を作って
態勢を立て直す必要があるわ。見張りのローテーション、
武器の調達、情報の収集、やることは沢山…」
「瑪瑙さん…」
早坂は上目遣いで悲しげに呟いた。
「冷たいよ…」
早坂は昔、女子高生強姦殺人事件のニュースを見たときの
ことを思い出した。マスコミは残酷さを売り物にするため
猟奇的なその手段を露骨に協調して報じ、しばらく食事が
できないほど落ち込んだことがある。男が恐ろしくて
意識的に避けるようになったし、ニュースも見なくなった。
被害者の女の子が、どれほどの恐怖を感じたのか
想像も付かなかった。岩井を救いたい。あのとき誰にも
救われなかった女子高生を重ね、同時に自分も救いたかった。
「…平気よ…私は平気……」
岩井はふらふらと立ち上がって二三歩歩くと崩れた壁に
寄り掛かって膝を付く。そして徐に林檎ほどの大きさの
岩片を両手で拾うと思いきり自分の腹に振り下ろす。
ドスッ!
「ぅっ…」
「岩井ィィッ!!」
二階堂が駆け寄って石を奪い捨てた。えづく岩井の腹から
薄く血が滲んでいる。二階堂の声が震える。
「やめろよ岩井、やめてくれ…頼むよぉ…」
消え入りそうな声で、懇願する痛々しい姿…
二階堂には弟がいた。未熟児だった弟は補給機の中で
息を引き取る。3時間と25分の生涯だった。
二階堂は子供が大好きだったし、意味もなく生まれてくる
命なんかないと信じている。いったい何のために生まれた?
今、岩井の中にいるのは誰なんだ?
「わかんないよ…私には…岩井…なんでこどもを
憎むんだよ…そいつがおまえに何をしたんだよ…」
早坂だって二階堂の執拗な固執には違和感を覚える。
しかし瑪瑙のようにスイッチひとつで切り替われるほど
簡略化されてもいない。既に疲労は臨界に達していた。