11.蒼い光

静かだった。
5人は互いの息遣いがうっとおしくもあり
同時に安心も得ていた。
外はまだ嵐なのだろうか?
怪物のこと、岩井のこと。
知りたいことは沢山あったが
とても追求していく気になれない。
忘れたかった。なにもかも、考えることを
放棄して、ただ助けが来るまで無心でありたかった。
ぼーっと何もない床の一点を見つめる西川の意識は
既に眠っているかのようだ。
二階堂は自らの膝間に塞ぎ込んでぴくりともせず。
瑪瑙に限り思考力は健全なようだったが、
発言するには時間が必要なことも察していた。
早坂は頭の奥がちくちく痛む。
ふと家族のことを考えて、
続け様彼氏のことを思い出した。
彼氏といっても、もう自然消滅しているような関係で、
感情的に高ぶることもまるでなくなっていた。
作曲家を目指す六つ年上の彼とは、おかしなもので
駐輪場で知り合っている。二重構造の自転車置きは
なかなか出し入れが面倒で、早坂は毎度苦戦。
それを手伝ってくれたのが彼だ。
優しかったしハンサムだし、別れる理由も
なかったので、なんとなく付き合って1年が過ぎて
ようやく終わりにしようと決断していたが、
こうして今、早く助けに来いなどと願っている。
都合いいなと、早坂は、ふたりの関係がこうなった
責任が自分にもあることを改めて自覚する。
ほんの僅かな反射光が水面から蒼く伸び、
あんな怪物が潜んでいるなんて信じられないほど
麗容を保って尚、この異世界に君臨していた。
しかし、ゆっくりと、それは近付いて…
静寂な均衡を破る。汀から這い上がって
急斜径な壁面に貼り付き登ってくる。
づるづると、あるいはブクブクとした奇怪音。
最初に気が付いたのは早坂だったが、すでに
脅威は死角から目前にせまっていた。
「きゃああああ!」
自分でも経験がないほどの絶叫が咽から出る早坂。
真後ろに差し迫る怪物に対して混乱し、咄嗟、
西川をかばうような形で、その場に蹲ってしまう。
「早坂!」
二階堂が目を見開いて早坂に向かい駆け出した。
体当たりという原始的な手段で対抗するが、まるで
歯が立たない。怪物の太く短い無数の足が疎らに
動いて例えようのない不快音を立てている。
虫とはこれほどまでに機械的であっただろうか。
心を感じることが出来ない。あたかも何者かに
操られているがごとく、鬱々と早坂に忍び寄る。
生暖かい甘味を帯びた臭気を吐いて、よだれを垂らし、
その鳴き声はどこか灯台の信号音にも似ている。
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
沸点に達した二階堂が先ほど岩井が自らの腹部に
打ち下ろした岩片を拾い上げ、両手で掴むと、
怪物の頭上へ力任せに振りしきる。
鈍く伝わる手応えと共に不自然にへこんだ怪物の頭。
奇声を上げて、びちびちとのたうち回る巨体に
馬乗って二撃目を振り下ろす。時間差で
割れた頭から粘液状の生暖かい鮮血が噴き出し
またがる二階堂の躰に勢い良く飛び散った。
「死ねぇぇぇぇっ!」
身も凍る怪物の断末魔の咆哮は、だだっ広い
空間に反響して、少女たちの精神を揺さぶった。
だが二階堂の腕は止まらない。がむしゃらに
両腕を上下するためかその攻撃は半分も当たらず、
仰向けで激しく足をバタつかせる怪虫は、
二階堂の長い両の足に挟み込まれ、その白く
すべやかな少女の腹の前で、虚しく勃起している。
怪物の頭部からは橙色の内部肉がこぼれ、
体液を滴り、時折ピクピクと反応する程度に
弱っていった。もう二階堂の腕には感覚もない。
岩井はその地獄の光景を眺めながら、
共鳴するかのように腹の中で暴れ狂う胎児に、
苦しんでいた。頭痛と吐き気、熱もある。
あのグロテスクな生物に内も外も汚されて、
もはや正気など保てるはずがない…
崩れた壁の断面から突き出した細長い鉄骨を見て呟く。
「加藤先生…」
岩井は自らの咽に鉄骨を突き立てた。

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