「…ヤバイわ」
瑪瑙が呟くと同時に少女たちはもと来た
通路の奥へ一目散に駆け出す。
それはメラメラと燃えるような炎ではなかった。
激しい衝撃と凄まじい轟音を伴った爆発だ。
ドォォォォォォン!
遠く衝撃と僅かな差で地底噴火のような重い音。
浮いたドラム缶に引火したのだろうか。
地に投げ出されるほどの揺れ、そして
半壊した通路の角壁にぶつかって跳ね返る爆音。
六連続その責め苦が無容赦にたたみかかった。
ついには壁を吹き飛ばし通路に水が流れ込む。
「…あ……」
崩れ去った壁の向こうへ広がる光景に4人は唖然とした。
文字通り開いた口が塞がらなかった。
踊り狂う火炎の中に具来した巨大なシルエット、
インカローズの船体が水中から飛び出し咆哮している。
あたかもそれ自体が生物であるかのようだ。
「死にたくなきゃ走るのよ!」
瑪瑙の恫喝で正気に戻った少女たちが再び走り出した。
つっかえ棒のドアは無事だ。これなら水も炎も防げる。
しかし…
「葵ちゃん!」
西川が悲鳴を上げた。
いつも隣にいるはずの早坂が遥か後ろ、
さっきの連爆で落ちて来た通気口に体を挟まれ
身動きが取れないでいるのだ。
「何してんだ早坂! 早く来い!」
ドアに辿り着いた3人が置去りの早坂に声を荒げる。
早坂はパニックになっていた。
炎と影、赤と黒の世界。
倒れたまま、すでにその半身が
じわじわと押し寄せる水に浸かっている。
「あれ…あれ…」
早坂は泣いていたし、西川は名前を連呼していた。
インカローズが動いている。正確には、その表面が
うねっているのだ。虫たちの断末魔の絶叫は
灼熱と共にホールを焦がし、肉の燻った怪虫が
船内がら這い出してボトボト火の海に落ちている。
「マズいわよ…やつらに気付かれた」
瑪瑙の額に汗が一筋つたう。
インカローズから脱出した怪虫は優に十匹以上。
一斉に泳いでこちらへ向かってくる姿を
確認してしまった早坂は、凍り付いたかのようだ。
「ごめん…ごめんなさい…」
泣きじゃくって早坂が意味不明の謝りを繰り返している。
炎はみるみる鎮火していき、黒い煙りと
所々の陽炎が負と闇の世界に充満していった。
「早坂! 急げ!」
3人のいるドアから10メートル弱の距離。
早坂の足にそれは到達する。
「ヤダ、や、助けて下さい…助けて…」
『それ』に懇願は通じなかった。巨大に肥満した怪虫は、
少女のすべやかな肌触りに狂喜し、いきりたつ。
2匹、3匹と奇声を上げて駆け付けた彼等に囲まれ
すでに首から下まで水没している
身動きの取れない早坂は、恐怖と絶望のあまり、
かすれた悲鳴を漏らした。
「…早坂さんを切るべきよ」
瑪瑙が見限った。
「やつらは怒ってる。このままじゃ全員やられるわ」
もはやそんな言葉を聞く耳を、二階堂は持たなかった。
「早坂ぁっ!」
二階堂はドアを飛び出し、早坂のもとへ走りよる。
目前に押し寄せる怪虫の群れに悲鳴のような掛声を上げ、
裸同然の姿でナタを振り上げながら突進した。
常軌を逸した無謀。正気を押し殺さなくてはならない。
怖い、怖い、怖い。だから必死に狂わなければならない。
「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!」
振り下ろしたナタが虫の横腹を割る。
二階堂と怪物たちの絶叫が入り乱れる。
電球がバチバチとスパークしながら消え、
その一瞬の閃光に照らし出される二階堂の形相は
あたかも夜叉のようで、虫の蔵物や器官がドロドロと浮いた
地獄の血の池の中、暴れ回っていた。
「早坂! 早坂ァァァァァッ!!」
少し裏返った声で叫び続ける二階堂の足元、
早坂を孕ませたくて何匹もの怪虫が群がっている。
まさに、犯すのに邪魔な通気口を退かした瞬間、
早坂の身が自由を得て、即座水面に浮上、
デタラメに呼吸をしながら二階堂にしがみついた。
「ひ、、、ひん、ひん、、」
「立て早坂! 走るんだ!」
二階堂と早坂はドアに向き直り、死に物狂いで
水をかき分けながら走り出した、その時。
ガチャン!
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
視界から瑪瑙と西川の姿が消えたのだ。
「何してんだよ…冗談やめろよ…」
二階堂は早坂を引いてドアへ向かう。
「何やってんだ! 瑪瑙! ふざけんなっ!!」
ドアは閉っていた。4人がかりでやっと開くドアが、
来てみれば閉っているのだ。
それは、どうしようもなく閉っていた。
「瑪瑙! 開けろ! 開けろ!」
やっと喋れるようになった早坂も乞う。
「お願い、開けてすみれ…お願いだから…」
薄暗く蒸し暑いドア向こう。
瑪瑙の膝まで水位は上昇してる。
西川は震えながら言った。
「瑪瑙さん…」
「…何?」
「閉めちゃだめだよ…」
「…」
「まだ…葵ちゃんが向こうだよ」
「あらそう…気がつかなかったわ」
瑪瑙は、しれっと呟いて目線を上に向ける。
全身汗だくで、呼吸も乱れていた。
「(私はギリギリまで待ったわ…
ギリギリまで待ったのよ…)」
胸の辺りまで沈んだ体を無理に動かして、
崩れた壁の方へ移動する早坂と二階堂。
女の肉体から発せられる甘美な魅力に魅入られた
汚らわしい猛獣たちが追ってきていた。
ウニの実にも似たオレンジ色の肉片がまとわりつく。
ドアは完全に水没し、そこへ流れ込んで溜まった
死体や内蔵を共食いする虫たちもいる。
近付く怪物の顔面にナタが刺さり、
バックリ割れた傷口から鮮血が噴出する。
背中が燃えてて苦しむ虫もいれば、
内蔵を垂れながら泳いでくるものもいる。
ここは、地獄だった。
広い場所に出。あのインカローズの湖に戻された二人。
「早坂…壁、登って先に行け。
私はこいつら殺してから行くよ」
二階堂は湖への抜け穴出口を陣取り、ナタを構えた。
早坂は傾斜の厳しい壁を見上げて覚悟する。
もうおしまいなんだと…。
「ありがとう二階堂さん…上で待ってるね…」
「ああ、すぐ行くよ」
これがふたりにとっての、精一杯の別れの言葉だった。
二階堂が雄叫びを上げて怪物の群れへ突っ込む。
早坂は上の階層を目指して壁をよじ登った。
水から上がった早坂は、下着も何も身に付けておらず、
完全に全裸の状態で、僅かな石の凹凸を探りながら
這い上がる姿は哀れでならない。
すぐ下から上がってくる怪虫たちは、まるで重力を
感じさせないほど器用に胴体を波打たせている。
水面からわずか6メートルと言ったところだろうか。
早坂は力尽きて手を離した。
ザブンッ!
水中に頭から潜り込み、ゆっくりと邪悪な陰が
いくつも近付いてくるのを理解すると…
やっと安息したように、早坂は気を失うことが出来た。