幼い母親の肉体の上に十を超える子供達が乗り
母乳を奪い合っていた。
いっせいにあの揉みほぐしをして
ミルクが飛び散りそれにすら吸い付くように群がる。
そんな肉人形と化した早坂を更に犯す怪虫。
中出しの度に少女の白く薄い肢体を跳ね上げて
快感を享受。脳神経が感じることのできる快感の
臨界をとっくに超越し、廃人寸前の状態だ。
髪は白髪になり、歯が全部抜け落ちていくような
幻覚の世界。地獄であり天国であり奈落だった。
寄り添うように少女に集まる虫たちが…ふと、
一匹、また一匹と姿を消していく。
何が起きたのだろうか?
やがて乳房と胎内に仕込まれた幼虫達を除いて
巨大な成虫たちは残らず早坂の前から姿を消した。
まるで彼等の去る姿は、自らの役割は全うしたと
いうような風で、そこには死期を見ているようでさえある。
彼等が何者だったのか。それは誰にも分からなかったが、
彼等自身これだけは自覚していたに違いない。
我々は生きなければならなかった。
本来なら生物とはそれ自体で自己完結した存在で
あるべきだったのだが、我々は不幸にも他者、つまり
異種の存在に介入しなければ成立しない生物であった。
何の為に生まれたのか分からない。
どうやらその答えを出すことが叶わぬようで、
だからこそ子孫を残し、子供達に追求を受け継ごうと考えた。
だが、こうして新しい命を種付けて、今、理解したのは、
生まれてきた理由…この運動こそが
自己目的であったのではないか。
驚くべき快楽を伴った生殖行為は、それを必要とさせたからであり、
それを全うしたからこそ、
『死』は完結でなく、完成を意味した。
あるいは神ならざる何者かが我々を想像し
この世へ遣わしたのだとしても、
その創造主の主旨や目的が如何なるものであったのか知りえずとも、
我々は生き、子孫を残し、連綿と進化を続け、淘汰を回避する
その傲慢で一途なプロセスこそ、生物の証明ではないのか。
そう…そのような思考の波が不明瞭ながらも心に触れる。
ただひとつ、彼等が理解に苦しんだのが、
苗床となった早坂の中から爆発するほどの暖かい感情を知覚したことだ。
母親が自分の分身である子供に対して否が応に抱いてしまうスキーム。
たぶん『愛』と言われるもので、虫たちにしてにれば、
それも生殖の快楽同様にシステム化した感覚であり、
繁栄と進化の過程を円滑にサイクルさせるに有効な機能を示す
ひとつの補助衝動であろうくらいの認識がせいぜいであったが、
少なくともこれだけは確かだ。
それは、虫たちにとって嫌いじゃない…ひょっとしたら、
それこそが生物の定義を明確化する要素なのではないかということを。