「葵ちゃん…」
霞んだ眼の先に温もりを感じる…。
「!」
西川は跳ね起きた。目の前にいるのは紛れもない。
早坂 葵がいた。
幼虫がうねうねと群がり下腹部がゆっくり内部から
動いていたが、間違いはない。まだ息もある。
「あ…葵ちゃん…葵ちゃんっ!」
西川は早川に触れようとして躊躇した。
おそらくは早坂の子供達と思われる幼虫が威嚇の
奇声を上げ出したからに他ならない。
「あ…葵ちゃん…どうしよう…どうする?」
返事はなかった。
ギリギリと崩れる音、いよいよこの海上の牢獄が
倒壊しようとしている。西川は泣きそうになった瞬間。
自分の腹の底で確かに感じた。
動いた。おぞましき存在を。
「葵…ちゃん…」
へたりこんだままもう一度早坂を見る。
その横たわった少女の美しい母体の上で金切り声を
張る幼虫たちを眺め、ぷっくりふくらんだおなかを撫でる。
西川の中から恐怖が消えていく…
「葵ちゃん…私も…同じだよ。葵ちゃんと同じだよ」
胎動のたびに喜びすら感じる西川は、早坂ににじりよって
幼虫たちごと抱き上げた。脳裏に浮かぶのは
岩井を助けに戻るときの早坂の言葉。
「すみれ、何があっても私が守ってあげるから、ね?」
早坂を背におぶった西川は崩れおちる瓦礫の中を
必死に突き進み湖へと飛び込んだ。
「葵ちゃんは…私が守るから…絶対守るから!」
がむしゃらに水をかき、背中に早坂の腹の胎動を感じて、
それが不思議と不安や恐怖を吹き飛ばす。
理由は分からないが、そこには決意だけがあった。
ゆらゆらと揺れてアブクの舞い踊る海中に僅かな光が射し、
あの静かで冷酷な…優しい青い光を蘇らせる。
歌が聴こえる…そんな気がする…
あれは…そう「ほたるのひかり」だ。
ほ た る の ひ か り ま ど の ゆ う ひ
早坂と西川の帰宅が下校時刻に合わさったとき、
ふたりで歌って帰ったのだ。
深くぼやけた遠くの歌声。それがたゆたっている海の
底深く。もはや青い光も一筋射すか射さないかの
無限に続く暗闇の中。沈むインカローズ、その棺に
御供するように、仕事を成し終えた怪虫たちが
安らかに永遠の眠りへついていく。
生物が生きようとする過程において、基準となるべき
優先順位とは、本当に本能であり種の保存なのだろうか?
二階堂の言うように、単なるシステムなのだろうか?
虫たちが早坂の中に感じた暖かいあの感情を知り、
もしかしたら、彼等は始めて生物たりえたのかもしれない。
誰も生かされているとは思いたくない。しかし、
自分でない誰かに生きてほしいと願うことを、
『機能』だけで結論付けることは間違っている。
「葵ちゃん!葵ちゃん!葵ちゃんっ!!」
西川は救命ボートを掴んだ。