25.アペプ

最近、よく歌うようになった。
なんとなく作ったいい加減な歌。
タンポポの巨体に跨がって移動しているため
その揺れが腹に伝わり、つわりまじりになるメロディー。
樹の蔓や種や葉を使って作ったアクセサリが
カサカサと鳴っている。また痙攣が始まったが気にはならない。
「ふふ…2匹とも良い子ね。ママのおっぱい美味しい? ん?」
大きさの違う2匹の幼虫が私の乳房に貼り付いている。
平和な泉のほとり、緩やかに流れる親子の時間。
私はしきりに動く芽吹いた命を、膨らみ始めた腹越しに撫でた。
しかし、そのひとときは
1匹の淫獣によって奪われる。
彼だ。
かつて私に拷問と陵辱の限りを尽くした凶暴な種族。
4匹中、たった1匹生き残ったあのイグアナ人間。
それが今、私の眼前に佇み、怒りに震えていた。
凄まじい咆哮と同時に目を血走らせて私に飛びかかって来る。
私は咄嗟に我が子を守ろうとしたが、あまりにも無力で、
か弱い女の肢体はあっさり大の字に押さえ込まれた。
しかし、彼は私の乳房に食らい付くでもなく、
私の膨らみかけた腹を殴りつけるでもなく、
ただ息を荒げて舌をだらしなく垂らしているだけ…。
彼のペニスのしたたりが私のおへそに泉を作っていく。
私はハァ…とため息をついた。
「哀れな人…仲間のカタキを前にして
 欲情することしかできないなんて…」
そう、彼はただ、雌の発するフェロモンに酔っぱらった
卑猥で低能な淫獣の1匹に過ぎない。
「哀れな人…」
つぶやいた瞬間、イグアナの首に太く長い尻尾が
ギュルリと巻きつき、容赦なくギリギリ締め上げた。
イグアナは必死に抗ったが、やがて泡を吹き、
白目をむき、顔面の穴という穴から血を吹いて
ゆっくりと、ゆっくりと息を引き取った。
「…ありがと、タンポポ」
尻尾の主がじゃれてくる。
母は、尾も含めれば全長5メートルはあるであろう
我が子の背に再びまたがり移動を始めた。
もう何も怖いものなどない。私に抵抗できる存在など、
もはやこの世界にありはしないのだから…。

この子の名前はリュウ。体長約2メートルの幼虫で、
その長い胴をヒクヒクさせながら私の肢体に巻きつき
ミルクを吸っている。リュウのべったり貼り付く
私のおなかの中からは出産間近の泣き声が聞こえる。
タンポポの背に揺られながら、その後ろを付いて来る
4匹の我が子。そして数十匹の血の繋がりのない淫獣たち。
みんな私に突っ込みたくて行列しているのだ。
私の子供達はどんどん生殖能力を強めていっているし、
このまま産み続ければ、私だけのハーレムを
作ることもできるだろう。
私はこの世界における唯一絶対の女王として君臨する。
…あとは、安らげる城があれば…
そう考えながら旅をして数ヶ月、 ついにその城を見つける。
それはここへ来て初めて見る人間の建造物だった。
ボロボロに崩れた錆色に変色している瓦礫の建物。
たいして懐かしくもなく、この人工物へ触れる。
私はなんとかリュウを引き剥がすとタンポポから降り、
城へ足を踏み入れた。
薄暗い穴だらけのホールの中、自家発電なのか、
灰色の明かりがジメジメと私の体をなめまわす。
シダ系植物は外ほど生えておらず、床にはパリパリに貼り付いた
淫獣のミイラや白骨が転がり、全体をびっしりキクラゲのような
菌類が覆っている。 …よく見ると大きな糸ミミズのようなものが
廃棄された機材の隙間から大量に生えて蠢いていた。
何かの実験施設だろうか?
奥に下へ降りる階段がある。
これと言って警戒もせず、私は下へ降り、
さらにそこにあるドアを開け深く進んだ。
暗くせまい研究室、そこに彼らはいた。
大きなシリンダーケースがゴロゴロと立ち並び、
中ではグロテスクな肉塊が淀んで浮く。
およそ20槽、中には培養槽の液体が半分くらいしか入っておらず
はみ出した身体の一部が乾いて死んでいるものもいた。
自分のおなかをさすりながら、私はフロア中央に置かれた
巨大なシリンダーケースの中を見た。
明らかに他とは違う、特別な威圧感を持った彼は、
かつての私なら決して直視できなかったであろう姿。
そう…心臓のかたまり。上には不規則にボコボコと浮き出した
無感情な眼球。そして下からは何十本もの太く長いペニスが生え、
その先から糸を引くように、底に精液の沈澱層を作っている。
「 あなたは誰なの?」
そう言って気が付く。私が涙を流していることを…。
今、全てを理解した。
人間とは何と罪深き生き物なのだろう。
こんなにも悲しい存在を作って何をしようとしていたのか。
彼らはあまりにも…可哀想すぎる。
ドプン……
私はシリンダー上部から、彼がいままでひとりぼっちだった
容器へと入った。沈澱した精液がヌルりと足を捕らえる。
「…ごめんね…愚かな私達を許して…」
暖かく柔らかなこの母体は、醜悪な肉獣とねっぷりまぐわった。
つながって感じるのは、彼等の真っ白な感情。
人間に対しての憎しみも怒りもなく、
孤独と悲しみに満ちた狭く汚い闇の中で
誰にも愛されることもなく育ち、捨てられた。
初めて触れあい感じあう喜びを知った彼は、
生まれて以来、だらしなく垂れ流してきた数年分の精液を
本来望まれる場所、子宮へ、何度も何度も打ち込まれながら思うこと。
性欲とは、心の悲しさをごまかすために、
肉体にあたえられた逃避衝動。
人は何千何万年と、それに抗うことができなかった。
この本能的贖罪意識に心を蹂躙されながら、
命は誕生し、繁栄してきたのなら…、私達は罪そのものだ。
私はすでに子を宿した腹の中へ、残った失敗作の実験体たちからも
たっぷり精子を受けた。おなかの膨らみを歪んだ肉身に押し付け、
胎動を伝える。あなたたちの子がいる。あなたたちが
生まれて来たことには意味があったのだと伝えたかったのだ。
そして私は、彼らを1匹残らず殺してしまった。
永い時味わった苦痛と絶望を、すべて自分の中へ吐き捨てさせた。
救うことができたのかどうか分からないけれど…
最後の瞬間、彼等が笑っていたような気がした。

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