06.澪(その3)

鍵を閉められた。
澪は暗闇に目を慣らせる為にじりじりとドアから離れていく。
柔肌に雨がぶつかり、髪の毛が顔に貼り付いた。
甲板の状況を把握すること…窓から船内は確認しない。
澪は懸命に冷静たろうと努めた。
霧で視界が悪い。混乱したら負けだ。
何が起きているのか分からないが、今はスクリューの異物を
どうやって取り除くかだけに思考の全てを注ぐ。
床は結構滑り易い。中央の壁を伝って船尾へ移動を開始しながら
上下左右に気を配る。スロースピードで怪虫が寄ってくるのを
見ても澪は慌てなかった。逆に、激しいアクションを起こすと
相手もどのような行動に出るか計りかねていた部分がある。
裸の状況が背水の陣である気持ち的ゆとりの無さを高め、
それが覚悟に繋がったともいえた。
「ハァ…ハァ…ハァ…フゥ…」
意識的に呼吸をすることで神経を鋭敏にしていく。
短距離走の記録を計る直前はコレでコンディションを整えた。

べりっ

唐突に怪虫がドアから剥がれ落ちて床で丸まったのを見て驚く澪。
しかしその後動かないのを確認して、あのままボールのように
転がってくるわけではなさそうだと判断、意を決し船尾まで走った。
霧で見えなかった鉄柵にぶつかり止まる。思ったより強く打ったか
肋が痛んだ。船の揺れは少し治まり、波は比較的安定したとはいえ
とても海に飛び込んで作業できる状態ではない。
「(せめてライトが有れば…)」

ぞろり…

背後に感じる気配に澪は飛び退いた。
怪虫! さっきまでの動きから考察するに現れた方向が不自然だ。
「(まさか…一匹じゃないの!?)」
澪はそれでも走り出さず、怪虫の速度に合わせて間合いを取りながら
後ずさりし、同時に他の怪虫にも警戒。
ひとまず船尾を離れて中央室の天井部分にもある舵取りスペースに
登った。確かに正体不明の相手ではあるが、現段階においては
スピードでこちらに利がある。もし一匹であるなら体力の続く限り
船上で逃げ回ることは可能だ。だが二匹かそれ以上いるとなれば
挟み撃ちに会うだろう。なら中央室の回りをぐるぐる逃げるより、
天井スペースで各位置を把握しながらルートを考えるべき。
残念ながら霧に遮られ全貌は分からないが、波の音に紛れて
かすかに聞こえる這いずり寄る不快音。これは重要な情報だ。

ドキ…ドキ…ドキ…ドキ…ドキ…

「(間違い無く近付いている。なぜこっちに…つまり私に迫るの?
 私の体温に、或いは別の彼等特有の生命反応感知能力をもって
 キャッチしている? いずれにしろ捕まってはいけない。
 近付く理由があるとするなら、これはもう食べるために他ならない。
 おそらく男ふたりは丸飲にされたんだ)」
舵の下の工具箱などをほじくり返しながら何か使える道具がないか物色。
「…これは」
見つけたのはオレンジ色をした30cmくらいのスティックで、
英語表記の説明文が記載されている。使い方の図を見て澪は決意した。
「やるっきゃないか…」
澪はハッとして振り返ると天井部舵とりスペースに既に身を乗り出すまでに
よじ登ってきていた怪虫を直視し戦慄した。
バックリと虫とも爬虫類ともつかない化け物の口を明けて唸り上げる。
「(神様!)」
澪は睨み付けるような形相で、その大口にスティックを向け勢い良く紐を引いた。

シュボ! ボスン!

凄まじい閃光が走って怪虫の顔面にそれがめり込んだ瞬間。
バシュゥゥゥウッゥゥゥッゥゥゥゥッ!!!
と白煙を上げながら真っ赤な光が怪物の上半身を内部から染め上げた。

ギュアァァアアァァアァア!!!

怪虫は中央室の外壁を転がり落ち、船尾の鉄柵に叩き付けられると、
暫くびくんびくんと激しくのた打ってからシュウシュウ炎を上げ出す。
SOS用の信号弾。これほど効果があるとは思っていなかった。
咄嗟の判断でよく使用できたなと自分自身ちょっぴり驚きながら、
恐る恐る船尾へ向かう澪。怪虫はどことなくハロウィンのカボチャの
灯篭を思わせる屍。海面に落ちても燃えてるくらいなのだから炎は強い。
虫は全身の穴という穴から内蔵をぶりぶりと吐き出し、肉の焦げた異臭が
鼻をついた。ぶちゅぶちゅと意味不明な音を立てて絶命していることを
確認すると、澪は海を覗き込んで唾を飲み込む。
「(いけるかもしれない…)」
虫を焼いている炎の光がスクリューを照らしていた。

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