12.進化(その2)

まず倉庫の照明を落とした。
これから気取られないように外を確認するため、
灯りが漏れるという一目瞭然な変化を消しておきたかったのだ。
それから一呼吸おいてノブに手をかける。
倉庫のドアをまずはゆっくりと10cmばかり開いた。
がくがく震え脂汗でぬめるこの手で、
ドアを勢いよく開いてしまわないよう細心の注意をはらいながら、
暗闇をのぞき込む。
スタンガンはどこだ。
あれは(おそらくではあるが)怪物にも有効だった。
まずは武器、後のことはそれから考える。
闇に目が慣れてきた。
澪と姫子の影を確認。その奥に虫が巨体を横たえていた。

「姫子! 気をシッカリもって! レイプされた…この腹の中にアレがいる!
 でも私たちはまだ生きてるんだ。わけのわからない逃避なんかしないで
 二人が助かる道を考えよう!」
澪は咳き込んでから姫子を抱きしめた。
「助かる? 違うよ澪ちゃん。まず私たちが助かるんだよ。
 閉塞した人類の進化に、科学に頼らない正統な進化を開拓できるんだ。
 だから、私たちはレイプされたわけじゃない。
 この星を生命源流からみて
 本質的に支配している虫たちとの共存を託された。
 私たちはエデンのイヴになったんだよ」
「お願い姫子! 手術で摘出すればきっと助かるよ、だから、、、
 だから気を確かにもって、、、」
姫子は優しく澪の頭を撫でながら、ため息のように艶やかしく耳元で囁く。
「怖がらないで、何も怖がることなんてないよ」
澪は無力な自分を呪った。
男に生まれていればこんなことにはならなかったんじゃないか。
・・・・・・
いまさらどうにもならない性別のせいにする時点で、
澪もまた疲労困憊していることが露わだった。
「ごめんね姫子、、、私が男だったら、、、守ってあげられたのに、、、」
姫子は苦笑した。
「女の子だから選ばれたんだよ。男の子はみんな消えちゃったでしょ?」
「違う、、、そうじゃないよ、、、」
「澪ちゃん。どうしてこの世の中に男と女がいると思う?
 余計な付属の多い【人間】で考えると哲学に陥ってしまいそうだけど、
 虫たちの世界では、性は適応能力における必然のシステムだったの。
 進化とは適応の力。
 生き残るのは強いものでも大きいものでもない。
 いかなる環境の変化にも対応できるフレキシビリティだよ」
憔悴する澪の頭を寝かせ、膝枕すると、姫子は続けた。
「太古の世界。
 まだ性という概念がなかった時代。
 無色生物たちは子孫を残すために分裂し増殖を繰り返した。
 でもそれはコピーにずぎない。
 子は親とまったく同じなの。
 そこには個性も多様性も生まれなかった。
 捕食者や病原菌に対して一つでも対抗措置がとれなければ
 種族が全滅する危険性を孕んでいたの。
 だからこそ虫たちはいかなる驚異にも種の保存ができるように
 多様性を獲得しようと考えた。
 それこそが異種交配だったの。
 雄と雌。
 虫たちは自分と異なる遺伝情報を持った相手と交わることで
 個性を持たせることに成功した。
 異種、つまり異性から優秀な部分を受取り、
 互いに現在の環境に必要な機能を子孫に継承させていくことによって
 絶滅を回避したんだよ。
 さらに、より遠く離れた種を求めて新しい可能性を育んだの。
 逆に自分の血に近い種と交わると劣等種になるよう反作用も設けられ、
 その生存の術は気の遠くなるような永い年月を連綿と練られていった。
 殺虫剤を使用すればほとんどの蠅は死んでしまうけれど、
 一部殺虫剤に対して免疫能力のある者が生き残り、繁殖し、
 翌年には殺虫剤が効かない蠅たちが沢山生まれるようにね・・・
 だから環境によって異なる外敵に対処すべく
 進化を繰り返した虫たちは「進化」という大いなる生命源流に乗った
 あまねく生き物達の支配者といえるのよ」
澪は下唇を噛んだ。
「私たちは蠅じゃないでしょ」
「違うと思ってるのは人間の驕りだよ。
 DNAレベルで見れば人間と蠅は1%も差がないんだから。
 今、ここにいるこの子たちは、
 虫だと思う?
 人間だと思う?」
「どっちでもない、化け物よ」
「人間から見て昆虫たちの超越した能力を思えば化け物かもね。
 でも昆虫から見れば人間だって十分化け物だと思うよ。
 ここで人か虫かなんて区分けは意味がないんだよ、
 私も澪ちゃんもこの虫たちも同じなんだ」
姫子の胎動が澪の後頭部を緩やかに揺らし、
澪の腹の底でもそれに反応したのか、幼虫が寝返りをうつ。
「素晴らしいことだと思わない?
 私たちはこの虫の子を孕むことができたのよ。
 つまり、進化の可能性は爆発的に飛躍したんだ。
 どんな子が生まれてくると思う?
 私たち人間のように直立歩行できる足を持っているかもしれない。
 長い手と起用な指を持っているかもしれない。
 或いは壁や天井でも這うことのできる無数の足を持っているかもしれない。
 暗闇でも障害物を察知できる触覚がついているかもしれない」
「やめて!」
澪は両耳を塞いで蹲った。
「わたしは、、、人間よ!」

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